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南房総の玄関鋸山

鋸の歯のような岩壁が連なる鋸山は、その名のとおり鋸の形をしています。十万余坪(33万u)の境内地は県指定の名勝で、十八勝、三十六景など数多くの秘境に富んでいます。三尊来迎の姿といわれる瑠璃、日輪、月輪三峰の大偉観、東京湾を始め、富士山、三浦半島、伊豆半島から伊豆七島と関東一円を見渡せるパノラマが広がっています。頂上の大景観とともにその美しさは見るものを魅了します。ロープウェーを利用すれば約3分で頂上に。大仏前広場の無料駐車場へは鋸山観光自動車道で、鋸山登山自動車道を利用することもできます(有料駐車場)。ハイキングをかねて、のんびり登山道を歩くのも、名所がたくさんあるのでおすすめです。すべてを鑑賞するには2日を要するといわれます。
日本一の参道は御影石で2639段、
鋸山全体を境内に持つ日本寺

日本寺は今から約千三百年前、聖武天皇の勅詔と光明皇后のおことばを受けて、神亀二年六月八日(西暦七二五年)高僧行基菩薩によって開かれた関東最古の勅願所です。正式には乾坤山日本寺と称し、時に帝よりわが国の国号を冠する「日本寺」の勅額、宸翰ならびに黄金五千貫を、皇后よりは御手づらの刺繍になる三十三観音の軸物および御戸帳料綾綿十匹えを賜りました。初めは法相宗に属し、天台、真言宗を経て徳川三代将軍家光公治世の時、曹洞禅宗となり今日に及んでいます。かつては七堂、十二院、百坊を備えて、良弁僧正慈覚大師、弘法大師などの名僧が訪れ修行した古道場です。本尊の薬師瑠璃光如来は日本三薬師の随一として尊敬を集め、江戸時代の最盛期には実に三百万人講の名をもって東海千五百羅漢彫刻の大工事が行われ、
参道は御影石で2639段あり、これは日本一の長さです。梵鐘は国の重要文化財に指定されています。
東洋一を誇る日本寺大仏

昭和44年6月、四年にわたる復元工事により再現した総高31.05メートルある名実ともに日本最大の大仏です。原型は1783年、大野甚五郎英令が門弟二十七名とともに三年を要し現在の地に彫刻完成したものです。当時は御丈八丈、台座とも九丈二尺あり、天下に偉観を知られていました。この大仏、正式には「薬師瑠璃光如来」と称し、宇宙全体が蓮華蔵世界たる浄土であることを表したもので、世界平和、万世太平の大象徴として復元建立されたものです。
百 尺 観 音

昭和41年5月、六年を費やし鋸山の岩肌に彫られた高さ百尺(30.3m)の大観音石像。発願の趣旨は、一つには戦没者供養、また一つには、近年激増する交通犠牲者供養のためです。当山山頂に切りたつ険しい崖に囲まれた雄大な勝地に安置される大観音像は交通安全の守り本尊として多くの人々の尊崇を集めています。
ひとつとして同じ顔が無いという
日本寺境内にある千五百羅漢(県指定名勝)

当山曹洞第九世、高雅愚伝禅師の発願により、上総桜井(現木更津市)の名工、大野甚五郎英令が1779年から1798年に至る21年間、門弟27名と共に生涯をかけて千五百五十三体の石仏を刻み、太古よりの風蝕によってできた奇岩霊洞の間に安置し奉ったものです。中華民国壊安大中寺の八百羅漢を凌ぐもので鋸山は世界第一の羅漢霊場として海外にも知られています。真心をこめて彫刻された千態万状の尊像は、人間の喜怒哀楽、一つとして同じ顔がないといわれており語りかけるような豊かな表情と風雪にさらされて味わいを増した石仏群は名作です。当山の貴重な寺宝であることはもちろん、我が国の文化財としてもかけがいのないものです。
国指定重要文化財日本寺の鐘

下野国佐野庄堀籠郷(栃木県佐野市堀米町)の天宝寺(現称天応寺)の鐘として寄進され、60年を得て、鎌倉五山の一である浄妙寺鐘となり、のち東京湾を渡り日本寺の鐘となった歴史的名鐘である。鋳工は、幾多の国宝や重文の茶の湯釜を残した佐野天命(佐野市天明町)の助光です。
お願い地蔵

大仏広場にあるお願い地蔵尊は、様々な願いがかなえられると尊崇を集め、お願いをする人の氏名を書いた小さなお地蔵さまが、無数奉納されています。
聖菩提樹
平成元年五月、インド政府により、日印親善と世界平和を祈念、釈尊成道の聖地「ブッダガヤ」の聖菩提樹の分木が日本寺へ贈られ大仏広場に植えられています。
「地獄のぞき」

頂上にある「地獄のぞき」は、切り立つ岩盤の上から下をのぞき見るスリリングな名所。
▲鋸山の名所の一つ「地獄のぞき」
鋸山日本寺案内図 鋸山遊歩道マップ 鋸山ハイキングコース
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