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頂上付近で切り出された房州石を木製の荷車に乗せて運び出した道。昭和61年ころまで使われていたという。運搬した人を車力と呼び、女性の仕事でもあった。ブレーキをかけた跡が石畳にくっきりと刻まれ、当時の重労働が偲ばれる。 |
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かつて房州石を切り出した石切場跡。岩肌にはくっきりとノミの跡が見られる |
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岩肌に彫られた高さ30.3m(約百尺)の石像。本来は、戦没者供養と交通事故の犠牲者供養のために6年の工期を経て昭和41年5月に完成した。現在では交通安全の本尊として崇められている。 |
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上総国桜井(現木更津市)の石工・大野甚五郎英令が、27人の門弟とともに安永8年(1779)から寛政10年(1798)の19年問にわたって完成したもの。1553体の石仏は、人問の喜怒哀楽を表現し、ひとつとして同じ顔がないといわれる。首がないものや修復されたものがあるが、これは明治維新の廃仏毀釈によるもの。石材は伊豆から海を渡って運ばれてきた。 |
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正式名を薬師瑠璃光如来という日本一大きな大仏(高さ31.05m)。原型は天明3年(1783)に大野甚五郎英令が3年がかりで完成したが、江戸末期に風化が進み荒廃していた。その後、4年の歳月をかけて昭和44年に復元された。 |
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