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館山城
(館山市) |


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天正六(1578)年、安房岡本城に居城していた里見義頼が重臣に築城を命じ、天正八(1580)年に城番を置いたといわれています。その子義康が天正十六(1588)年に大規模な改修をして、天正十八(1590)年に完成した。この年の小田原の役で、里見義康は三浦半島・鎌倉方面に進軍したが、この行為が豊臣秀吉に「関東惣無事令」違反として、また参陣が遅れたことを咎められ、上総を没収され、安房一国のみを安堵される。慶長五(1600)年の関ヶ原の役では徳川家康の東軍に属して宇都宮を守った功により、鹿島三万石を加増された。この頃には城山周辺に惣構えの工事を行い、鹿島領民が担当した堀は「鹿島堀」と呼ばれた。しかし、慶長十九(1614)年の大久保忠隣事件で、忠隣の孫娘を室にしていた里見忠義は嫌疑をかけられ、結局城の無断改修と召抱えの家臣が多すぎることなどを理由に安房九万二千石を没収、鹿島三万石の替え地として伯耆国倉吉に事実上の配流となった。忠義は倉吉の地で失意のうちに死去し、里見氏は途絶えた。このとき殉死した八人の忠臣の遺骨が密かに館山に持ち帰られ、城山の地に葬られた。滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」はこの八人の忠臣をモデルにしたと言われる。
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伏姫籠穴
(南房総市) |
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南総里見八犬伝の物語の中で伏姫と犬の八房が籠もったとされる籠穴です。 |
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滝田城跡
(南房総市) |

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滝田城址は、上滝田区根古屋の西方の丘陵上にあり、下滝田区の大手口より登ると一番高い所は標高140mで八幡台と呼ばれ、石宮の八幡小祠があります。
これが本丸(主郭部)と考えられ、これを囲む形で曲輪と思われる数ヶ所の台地が見られます。
東側の標高100mの中腹台地は馬場跡と伝承されています。城址は西方に尾根が続き、南北に断崖がある要害の山城である。築城の年代は明らかではないが、安房志では城代を里見五代義豊の妹を妻とした一色九郎としている。
また、快元僧都記の天文6年(1537)の項には、里見六代義尭が天文3年の犬掛合戦の後、暫らく房州部久里郡に居城していたと記され、これを滝田城とする説が有力である。
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赤山地下壕跡
(館山市) |
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館山海軍航空隊赤山地下壕跡は全長約1.6qと全国的にみても大規模な防空壕で、館山市を代表する戦争遺跡です。建設時期については、1930年代半ば頃に工事が始められたとする説もありますが、このような大規模な地下壕が1941(昭和16)年の太平洋戦争開戦以前につくられた例はないとされています。また、当時の軍部が本格的に防空壕をつくりはじめたのは1942(昭和17)年以降であるという歴史的な事実もあります。
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めがね橋
(南房総市白浜) |
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白浜町滝口の長尾川下流にかかる、石積み工法の洋式三重橋。3つのアーチがあるので本当はメガネではないが、川面に移る姿からめがね橋とよばれるようになった。橋は明治21年(1888)年に、村民の寄付399円40銭で建設された。架設以前は川を歩いて渡っていたという。関東大震災にも壊れることなく、戦時中は戦車が通ったという頑丈な橋だ。昭和52年と平成5年に補修工事が行われ、建設当時の姿を留めている。県指定有形文化財。日本の名橋百選。
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波の伊八の彫刻
(鴨川市) |
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鴨川市生まれの名工、武志伊八郎は波の伊八と呼ばれ安房各地に作品が多数残されています。 |
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| 社寺を歩く |
安房神社
(館山市) |
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海、山に囲まれたこの地域は、海からの文化が入り込み、また山々での文化が守られる神秘的な伝説が数多く残されている土地です。伝承される教えや物語は神社仏閣の引き継がれ、今なお歴史の息吹が息づいています。 |
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